精華少年剣道クラブの剣道kids!フォロワーの皆さん!お元気ですか!?
8月6日、9日、15日、お盆と言うこともあり、8月の前半は日本人にとっては
特別(とくべつ)な日々に思えます。私事ですが我が家は初盆(はつぼん)でした。
しんみりとならない程度(ていど)に、私が剣道に戻ってきた真相(しんそう)を
話ししたいと思います。よろしくお願いします。
「剣道をさせる事にしました」、と凛(りん)とした声がキッチンに響きました。
長男が小学2年でしたので今から9年前です。昨年亡くなった妻が、キッパリと
言ったのを今もおぼえています。私は「この子は野球もサッカーも体操もでき
ない。水泳の進級テストも落ちた。ドッヂであてられてもニコニコしてるんや。
ママの負けずぎらいのDNAは1ミリも受けついでないよ。剣道??できる?」と
私はとっさにそう思いました。しかし妻の自信(じしん)にみちた態度(たいど)に
私は「そうなん?わかった」としか言えませんでした。
幸か不幸か剣道は個人競技(こじんきょうぎ)で、低学年でも試合があります。
剣道をはじめたものの試合では勝てません、、そんな日々が2年つづきました。
そしてついに、衝撃(しょうげき)の一言(ひとこと)を、妻は私に言ったのです。
「あなたが教えなさいよ。剣道!?やってたんでしょう!」これが私が剣道へ
戻ってきた真相(しんそう)です。
付き添いで子供らを見ていた2年間、長男をはじめ、精華の子は剣道が好きな
子供は多くない感じ(笑)でた。でもみんなといると楽しい、友達が勝つと嬉しい、
先生もガミガミ言わない。そうか、、こういう剣道でもええのか??私も防具を
そろえ長男と稽古に参加しました。その頃、今度は館長先生が衝撃!!の一言を
おっしゃいました。「夏休みは柳生で合宿をする事になりました」。私の中3の
夏、引退の時に老師が言った通りに、正に、剣道に、柳生に戻ってきた、という
わけです。
後記 その頃の長男の剣道日誌、目標は決まって「大きな声をだす!」でした。
剣道ではほめるところがなかったので、妻が口にしたのは、「声では勝ってた」
「よー声でてたやん。よかったやん!」そればかり笑。そして試合前になると
それはさらにヒートアップし「喉(のど)がきれるほど声だせよ!!」それが妻の
決めゼリフでした。お母さん、お父さん、たいていの子供は自信が無いんです。
どうか背中をグィッ!と押してあげて下さい。私も頑張って押します!と言う
事で今回は「この日常(にちじょう)がたからもの」と言うお話しでした。